江戸初期から農民の副業として始まった和釘づくりに起因していると言われている燕の金属加工業。明治初期まで、燕の産業のうち80%が和釘の生産でしたその後、鎚起銅器・キセル・ノコギリの目立て用のヤスリなど時代の移り変わりと共に、高度な金属加工技術を応用、成長させてきました。そして産業が時代と共に変化していく中、欧米化が進み、洋食器の試作を機に金属洋食器の大量生産に成功し、何度も危機を乗り換え現在に至ります。その高度な金属加工技術は時代のニーズに合わせ多様化しながらも、作り手から作り手へと技術を継承し続けています。中沢研磨もその例外ではありません。熟練の職人の元で修行を積み、受け継いだ技術で燕が誇る地域産業に貢献していきたいと思っています。